【1】自分が性同一性障害だと気付くまでの話

こんにちは、浅木です。
今回は、僕が「自分は性同一性障害なんじゃないか
と気付くまでにどんなことを思っていたのか
振り返りながら紹介していきたいと思います。

現在、自分の性別に関して判断に迷っている方や
「性同一性障害の人ってどんなこと考えてるの?」と
気になっている方の参考になればと幸いです。

物心ついたころには「男の子」だった

僕の場合、なんとなく違和感に気付き始めたのは
5歳くらいの時でした。

(以前にも記事にしましたが、
「幼いころから違和感を持っている」ことが
GIDの条件ではありません。
社会人になってから確信を持つ方もたくさんいます)

当時は、周囲から「女の子」として扱われるたびに
「僕は男の子なのになあ、みんな勘違いしてるんだなあ
と呑気に考えていました。笑

何故か絶対的な自信があったんですね。
自分は男の子なのに周囲が間違っている、と。

というのも、まだ保育園児の頃でしたので
周囲もそこまで執拗に「女の子」を押し付けてきたりはせず、
強烈な違和感を感じるまでには至らなかったのでしょう。

ただ、当時から「男の子は○○して」
「女の子なんだから●●しちゃダメ」という
大人の「性別で判断する」考えには
強い反発を持っていたことを覚えています。

好きな番組はウルトラマンティガでしたし、
遊ぶ相手は男の子ばかりで、
もっぱら泥遊びや鬼ごっこで外を走り回っていました。

ただ、何かになりきって遊ぶ(演じる)ことも大好きだったので
実は女の子に混じっておままごとなんかもしていました笑
その辺りは妙にちゃっかりしていたのかもしれません。

一番嫌だったのは七五三

幼少期、性別に関することで強烈な嫌悪感のある思い出は
間違いなく七五三です。

三歳のころはまだロクに記憶がないのでいいのですが、
僕は七歳と十歳の時にも妹に付き合う形で七五三をしたんです。

昔から、特に母親には「女の子らしくして」と言われてきたのですが
そのたびことごとく反発してきました。
ですが七五三はどうしても参加せざるを得なかったんですね。

七歳のころは露骨に真顔で嫌がりましたが
十歳のころになるともうすべてを諦めていたので笑
撮影がさっさと終わるようにひたすら無心で
カメラマンからの指示をこなしていました。

きっと、そういうのが好きなタイプの子だったら
とっても楽しい行事だと思うのですが、
残念ながら僕は撮影中も必死に意識を無にしながら
男の子は一回で済むし着るのも袴だからいいなあ
としか思っていませんでした。

いくら両親が喜ぶとはいえ、
自分が好きでもないドレスや着物を着せられて
化粧までさせられた上に写真を撮られるのは
本っ当にしんどかったです!

最近になるまで写真を撮られるのが
メチャクチャに苦手だったのは
この時の強烈な嫌悪感が原因かもしれません。

余談ですが、もしこれからお子さんの七五三をする!
という方がいらっしゃったら、
お子さんに「何が着たい~?」と聞いて
選ばせてあげると、きっと後々お子さんに
感謝されるんじゃないかな……と思います。

小学校にあがる頃

小学生になる頃には、小さな違和感が積み重なったことで
「どうやらおかしいのは周囲ではなく僕のようだ」と
気付くに至りました。

厳密にはそれも勘違いに近いのですが、
まだ幼かった僕としては
こんなに『女の子』として扱われるんだから
僕が気付いていないだけできっと『女の子』なんだろう
と判断せざるを得なかったのです。

そして、当時僕の中に強く存在していた価値観に
「いい子でいる(親に迷惑をかけない)」というものがあり、
何よりもそれを優先するために
「普通でいる」ことを選択した、ということになります。

物心ついた頃から、母親から幾度も
「女の子らしくして」「どうして普通にできないの」と
困ったような口調で言われていました。
そのため「僕が『女の子』でいないと、母親は困る」という
認識が無意識下ですくすくと育っていたようです。

ということで、当時の僕は
可能な限り『女の子』のふりをする」と決めたのです。

ですので、ランドセルを買うという時になっても
「黒いのがほしい」とは言いませんでした。
普通の女の子は黒いランドセルを欲しがったりしない、
と知っていたからです。

自分のやりたいことはすべからく
母親を困らせてしまうんだ、と理解していたんですね。

「女の子のふりをする」と決めてから、
僕がどうやって学校生活と折り合いをつけていったのかは
次回の記事で紹介しようと思います。

スポンサーリンク







シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク